12月24日(土)「マイナンバーカードとオンライン資格確認設置作業」 皆様はマイナンバーカードを取得されましたか? マイナンバーカードを取得すると、保険証との紐づけをすることができます。 紐づけができれば、マイナンバーカードだけで医療機関の受付ができるようになります。 一方で、医療機関ではマイナンバーカードでの受付ができるようオンライン資格確認というシステムを構築する必要があります。 政府はマイナンバーカードの普及を躍起になって進めようとしているようで、医療機関におけるオンライン資格確認を令和5年4月から義務付けました。 そこで当院でもオンライン資格確認ができるよう進めています。 12月20日に、業者がマイナンバーカードを読み取るカードリーダーの設置作業を行いました。
これが当院に設置されたカードリーダーです。 画像だと見えにくいですが、カードリーダーの下のほうのボックスにマイナンバーカードを置いて、患者さんが画面を操作することによって受付登録をすることができます。 またこの器械は、従来の保険証を読み込むこともできるようです。 さらに、この器械を用いることによりマイナンバーカードと保険証の紐づけもできるようです。
医療機関ではオンライン資格確認が義務付けられましたが、今度は患者さんがマイナンバーカードを用いずに従来の保険証で受付をした場合、保険点数が加算されることになるようです。
要は、マイナンバーカードを取得しておかないと医療機関を受診する際に余計な負担をしなければならなくなるらしいです。
マイナンバーカードの普及が今一つ進まない中、マイナポイントが付与される申し込み期限が次々と延長され、そしていよいよ「マイナンバーカードを作らないと損するぞ」という流れになってきています。
オンライン資格確認を行う医療機関もなかなか増えていませんでしたが、このように義務化もされたので、こちらとしてもこの流れに従うしかないことになりました。
さらには、「電子処方箋」という、紙での処方箋ではなくマイナンバーカード上で医療機関と調剤薬局がやりとりする処方も令和5年1月29日から運用開始となります。
これには医療機関だけでなく調剤薬局も「電子処方箋」に対応できる設備を整えないとなりません。
事前の説明では、「電子処方箋」で処方を行っても、控えとしての「紙の処方箋」も同時に発行するようです。
なんとも腰抜けな感じがします。
日本はデジタル化の点において後れを取っているということですが、これからどんどんその波が加速していくかもしれません。
ついていくしかないですね。
当院もそうですが、現在診療所(入院患者を一定数以上受ける病院以外)では現金のみでの会計を行っている医療機関が多くをを占めていると思います。
今度はスマホやカードなどの電子マネーで決済ができるような態勢も整えないといけないと思っています。
11月27日(日)「途切れ途切れのラジオで聞いたドーハの悲劇」 カタールで開催されているサッカーのワールドカップですが、たった今第2戦のコスタリカ戦に0-1で負けてしまいました。 初戦のドイツ戦は前半0‐1から後半に2-1と逆転勝ちして大変な盛り上がりを見せていましたが、残念な結果となりました。 日本のサッカー界が初のワールドカップ出場目前までいって敗れた「ドーハの悲劇」は1993年10月28日のことでした。今から29年前ということになります。 ちょうどその時、大学からの出張で石垣島の八重山病院に勤務していました。 今では信じられないことですが、当時石垣島ではテレビはNHKと教育テレビしか映らなかったのです。 22時から始まった試合だったようですが、その時テレビ中継がなかったので私はラジオにかじりついてイラクとの最終戦を聞いていました。 電波が悪く、途切れ途切れにしか聞こえなかったのですが、ひとりで興奮して試合の様子をうかがってしました。 いよいよワールドカップへの進出が決まると思った瞬間、「入ってしまったー」という実況とともに試合は終わりました。それが「ドーハの悲劇」だったのです。 今回のワールドカップでは、初戦のドイツ戦に勝利して「ドーハの歓喜」とも言われましたが、今日の敗戦でそれも夢と化してしまいそうです。 最後のスペイン戦での奇跡を期待したく思います。 (後日談22.12.2記) 12月2日未明のスペイン戦、見事に2-1で逆転勝利しましたね。 「ドーハの奇跡」実現しました。
10月25日(火)「マイナーリニューアルしました」
先月新規HPを公開しましたが、各公開先(ネット検索で出てくるサイトなど)にURL変更の連絡をしました。 併せて、当院入り口の扉に表示されているURLも変更する必要がありました。 そこで、厚手のシールタイプの写真用紙を購入してインクジェットプリンタで印刷、カッターで切って貼り付ける作業をしました。
こちらが修正後の写真になります。
こちらは修正前で、メジャーを当てて採寸しているところです。 どうですか?うまくいったでしょう!(^^)! こちらは入口の扉を広く映したものですが、扉左側にある[大野耳鼻咽喉科]という文字は扉をスライドして開放すると、右側の紺の表示の裏に隠れてしまい見えなくなってしまいます。 新型コロナ流行後は換気のため、扉は常に開放していたので診療中は[大野耳鼻咽喉科]の表示が見えなくなっていました。 そこで、緑の厚紙に[大野耳鼻咽喉科]と印刷した写真用紙を貼り付け、フックに吊るして表示するようにしました。
これは、当院の入っている建物入口の表示です。 これもURLを修正する必要があったので作り直しました。 前の表示はもう何年も経っていて色あせていました。 開業から15年が経ち、会計の現金出し入れに使っているレジスターの調子も悪くなり、つい昨日新しいものにしました。 電話の子機も、内臓バッテリーが劣化したせいで長い通話をしていると切れるようになってしまいました。 そこで子機のバッテリーもつい先日交換しました。開業後2回目の交換になるので、バッテリーは6-7年ぐらいは持つようです。 今月はちょっと自己満足なマイナーリニューアルのお話でした。 9月20日(火)「新規ホームページを公開しました」
本日新規HPを公開いたしました。 令和元年10月の日記で新規HP作成の記事を書きました。 これは、旧HPがスマホ表示に対応していないこと、旧HPを編集しているPCが古いMacintoshで、いつ壊れてもおかしくないことから、Wixという無料のHPサイトから作成して公開していました。 この度、患者さんご家族のご好意でHPをリニューアルしないかという話をいただきました。 当院で取り組んでいる上咽頭擦過療法をもっと周知させたいということが目的になります。 旧HPとこれまで公開していたWixのHPとも全て自作であり、要はごちゃごちゃして見にくい(センスがない!)ということなのでしょう。 必要最低限の情報を編集して、同じWixというHPサイトからきれいに作り直していただきました。 さらに独自ドメインの取得を勧められ、また検索エンジンにも引っかかるよう、今回は有料でドメイン取得とサービスを申し込みました。 相談した結果、ドメインはohno-ent-clinic.comになりました。 新規HPはこちらになります。
8月24日(水)「大地の芸術祭を再訪」
4年前の平成30年8月に「大地の芸術祭」について載せましたが、この夏に再訪してきました。 大地の芸術祭は、豪雪地帯でもある越後妻有地方で行われる芸術祭で3年に一度開催されています。 本来であれば、昨年の夏に開催される予定でしたが、コロナの影響で本年に延期されて4年ぶりに開催されました。 8月のお盆休みに、2日間行ってきました。 8月11日には清津峡から松代周辺を巡ってきました。 全部を載せることはできませんが、今回は前回より少し多く紹介したいと思います。 最初に訪れたのは、中里エリアにある『たくさんの失われた窓』です。
窓から見える風景を通して外に広がる妻有の風景をもう一度発見するための窓で、カーテンは風を映すということです。
この芸術祭の紹介写真にもよく登場する作品です。
次は、前回も訪問した際に印象深かった『最後の教室』です。 ボルタンスキーというこの世界では有名な作家(故人)の作品です。
ここは廃校の体育館で、暗い館内にたくさんの電球がぶら下げられていて神秘的な雰囲気となっています。
暖気を循環させるたくさんの扇風機もオブジェになっているようです。
同じ校内にある『愉快な幽霊たち』。
これはこのような装置で映し出されている動く影絵です。
ほくほく線松代駅そばにあり、この地域ではメインの会場となっているまつだい「農舞台」に移動しました。 その 屋外展示物である『廻転する不在』という作品です。
登ってペダルをこぐと、後方の6台からなる自転車が廻転します。
ここから車で山の方へ登ると、多くの屋外展示物がありますが、それを抜けた先にある松代城に向かいました。 その駐車場から松代城まではきつい上り坂で、炎天下の中登ってきました。 松代城1階に展示されている『憧れの眺望』。 この芸術祭オリジナルTシャツのデザインにもなっているオブジェです。
2階3階にも素晴らしい展示がありました。
降りてくる途中の出店で買って食べたアイスのおいしかったこと・・。
8月14日には十日町周辺を巡ってみました。 まずは、この芸術祭のメイン会場となっている十日町駅近くの越後妻有里山現代美術館MonMT(モネ)の展示です。
これは『movements』。
無数の小さな時計をムクドリの群のように配置したインスタレーション作品です。
この時計、それぞれ秒針が動いていました。
これは『Force』。
黒いワイヤーが張られているように見えましたが、黒いシリコーンオイルの粘度のある液体が、糸柱になって天井から床に常時落下しているのです。
下方の「油面」には「油紋」ができています。
この他にもたくさんの展示や飲食スペースもあります。
MonMTをあとにして里山の方へ移動しました。
ここは『絵本と木の実の美術館』。
やはり廃校となった校舎に様々な展示がされていました。
「ふるやのもり」等の絵本作家として有名な田嶋征三の作品です。
田嶋征三は膨大な数の絵本や作品を残しており、なお健在でいらっしゃるようです。
体育館はこのように染色された流木を組み合わせた動物などのオブジェが展示されていました。
そこからさらに山の方に入った民家に展示された『ビルズクラウド』という作品です。
越後妻有地域に実際に存在する建物を部落ごとにライトボックスにして吊り下げています。
暗闇に浮かんでいる様子は幻想的でした。
帰り際の飯山線の無人駅土市駅横に展示されている『Kiss&Goodbye』に寄りました。
両脇にはメルヘンチックな電車の絵が飾られ、前のスクリーンにはこの絵の順番に電車の旅が動画で綴られます。
このようなイベントがなければ、まず訪れることはない里山を巡ってその美しい風景に心を癒されたり、各作品を見るワクワク感、ドキドキ感に浸りながら、素晴らしい時間を過ごすことができました。 同芸術祭は11月まで開催されています。 また3年後にも開催されるかと思いますので、皆さんも訪ねられてはいかがでしょうか。
7月20日(水)「一生に一度?熊と遭遇」
10年前の5月の院長日記では、山の中でカモシカと遭遇した話を書きましたが、おとといの7月18日には熊と遭遇しました。 今回の場所は昨年8月の院長日記で紹介したフジロックの森です。 今月末にはフジロックフェスティバルが開催されます。 よく散策するボードウォークという整備された道ですが、おととしの9月には一緒にここを歩いていた娘が子熊を目撃しました。 この日は午前10時頃ここを歩いていました。
そろそろ終点に近くなった頃、ボードの上に水が滴ったようなあとがありました。
この時にはフジロックフェスティバルの準備で人が立ち入っており、その人たちのあとかと思ったのですが・・。
写真向かって左には川があり、その川から出てきた熊が左側からボードに乗り、しばらく歩いたあと右側の林に抜けていった光景が想像されました。
車に戻って帰る途中、まさか出ないとは思いつつビデオを回しながら運転していると・・、 出ました!!
左手から大きな熊が車の前を横切って右手の山に入っていきました。 この写真はビデオからおこした静止画ですが、実際にはこの画像で見られるより大きな大人の熊でした。 ボードウォークでは自分が通った直前にこの熊が通っていたことになります。 見たときは大変びっくりしましたが、怖さよりも熊に出会えた感動の方が大きかったです。 前回もそうしましたが、湯沢町役場には熊出没の報告をいたしました。 もう二度と熊と遭遇することはないと思います(あったら大変です)。 これからは、熊よけの鈴を鳴らしながら歩くことにしようと思います。
7月5日(火)「最も早い梅雨明けと連続猛暑日の記録」
院長日記は毎月更新していましたが、初めて月をまたいでしまいました。 というのも、日本口腔・咽頭科学会誌に、昨秋同学会で発表した演題の論文の掲載が決まっていて、6月中に出版されるものと思っていました。 今回の同学会誌からは残念ながら紙媒体がなくなり、オンラインジャーナルとして電子版のみとなってしまいました。 その掲載のお知らせを日記の題材にしようと思っていましたが、出版の連絡のないまま気がついたら7月となっており、院長日記の更新を忘れていたということに気づきました。 またその際にはご報告いたします。 さて、この6月は25日からフェーン現象が加わって東京でも猛暑日となり、そのまま27日には梅雨明けが発表されました。 6月の梅雨明け発表は初めてで、これまででも最も短い梅雨となりました。 東京の猛暑日はその後9日間連続し、連続猛暑日の記録を更新しました。 現在台風から変わった温帯低気圧が列島にかかって、天気は節目を迎えています。 戻り梅雨といいますが、平年の梅雨明けは7月半ば以降であるため、まだ本当の梅雨明けは先ではないかを思っています。
5月29日(日)「新型コロナウイルス後遺症に対するEATに関しての発表をしました」
5月25日から5月28日まで、神戸市の神戸ポートピアホテルと神戸国際会議場で第123回日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会総会・学術講演会が開催され、一般演題で発表してきました。 『上咽頭擦過療法』 という一つの群で、そのうちの3題は新型コロナ後遺症に対する上咽頭擦過療法(EAT)に関する演題でした。
私は、13例の新型コロナ後遺症(Long COVID:以下LC)症例に対してEATを行った治療成績を報告しました。
13例中、EAT後に評価することのできた8例全例で自覚症状(倦怠感、頭痛、嗅覚・味覚障害、痰など)が改善し、内視鏡による評価ができた6例中4例で重症度の改善を認めました。
発表の様子と、考察のスライドの一部は以下のようになります。
LCは新型コロナウイルス罹患後に後遺症が持続するもので、重症例になると寝たきりになったり、復職がきわめて困難になったりと社会問題になっています。 LCに対する治療法は確立されておらず、EATはLCの症状改善に有用である可能性が示唆されます。 今後注目される治療法になるかも知れません。 発表後は、各演題の演者や座長、また日頃EATに取り組んでいる仲間たちが集結し、このような写真を撮ることができました。 この写真は茂木立先生から、私の発表の写真は西先生からいただきました(ありがとうございました)。
右からもぎたて耳鼻科の茂木立学先生、福岡歯科大学の西憲祐先生、にしだ耳鼻科の西田吉直先生、はぎの耳鼻科の萩野仁志先生、私、とも耳鼻科の新谷朋子先生、旭川医大の原渕保明先生、きむ耳鼻科の金泰秀先生、かおる医院の新垣香太先生です。 原渕先生と新谷先生は北海道(旭川、札幌)、私・茂木立先生・萩野先生は関東(東京、神奈川)、西田先生・金先生は関西(大阪、兵庫)、西先生は九州(福岡)、新垣先生は沖縄(糸満)と、まさに全国各地から集結したメンバーとなりました。 なお、本学会は来年度から倫理審査委員会の承認を得ることが必須となるため、なかなか演題を出すことが難しくなります。 今回は一つのいい記念になりました。
4月28日(木)「セキセイインコのほかに文鳥が加わっています」
先月に引き続き、生き物の話題です。
熱帯魚のその後ですが、なかなか新しい環境での飼育は難しいようで当初8匹いたグッピーは1匹ずつ昇天していき、その後5匹買い足して現在は3匹になっています。
ということは、13-3=10匹が昇天(泣き・・)してしまいました。
スタッフも試行錯誤しながら、 グッピーの飼育を続けていきます。
さて、平成27年12月と28年11月の院長日記で書いたセキセイインコのラッピーですが、今も元気で自宅にいます。
もう6歳半ぐらいになり、老鳥となってきました。
老鳥とはいえ、ラッピーは相変わらず好奇心旺盛でやんちゃです。
そんな中、昨年3月1日に知人から文鳥をいただきました。
こちらは娘が面倒を見ています。
娘がつけた名前は「ぽんちゃん」。
豊かな歌声(鳴き声)からすると、多分オスだと思います。
ぽんちゃんは生後しばらく親鳥と一緒にいたため、当初は人間を怖がって近づいたりすると逃げ回っていました。
要は手乗りの鳥ではありませんでした。
けれど徐々に慣れていったようで、その後手のひらに餌を載せてかごの中にいれると、手に乗って餌をついばむようになりました。
あとは私が毎日ラッピーといるのを見ていたためでしょうか。
半年ぐらいして外に出してみると手や肩に乗ってきました。
今ではすっかり手乗りとなって、夜寝る前に新聞をひろげて読むときは手や新聞の上で一緒に過ごしています。
この2種類の鳥はどうも相容れないようで、2羽を近づけてもお互いに逃げ回ります。
歩き方が異なっていて、セキセイインコのラッピーは鳩のように片足ずつトコトコと歩き回ります。
これに対して文鳥のぽんちゃんは雀のようにびょんびょんとはねて移動します。
どちらもそれぞれかわいいですよ。
3月27日(日)「熱帯魚を飼いはじめました」
先月の日記では、2月の寒さにより河津桜の開花が遅れていたので、ソメイヨシノの開花宣言も遅れそうだと書きましたが、その後3月に入ってからは暖かい日が続き、3月20日に開花しました。 今日はもう満開宣言が近い状況となってきています。 さて、コロナの影響で待合室では雑誌などを、キッズスペースではおもちゃも撤去しており、寂しい風景となっていました。 そこで昨日職員の提案で、金魚でも飼ってみましょうということになりました。
スタッフが買い物から戻ってくると、なんと熱帯魚のグッピーになっていました。 世話が大変そう・・・。
写真ではあまりきれいに撮れていませんが、なかなかきれいです。 グッピーたち、動きが早いのでぶれてしまっています。 皆様の癒しになってくれればと思います。
2月25日(金)『今年の冬は寒く、河津桜の開花や花粉の飛散も遅れています』
第6波となったオミクロン株の流行がピークを越えて収束しつつありますが、数日前から始まったロシアによるウクライナ侵攻の動向が懸念されます。 さて、今年東京都では2月15日にスギ花粉の飛散が開始しました。 例年ですと飛散開始1週間後には本格的な花粉の飛散となりますが、今年は寒波の影響もあり大幅に遅れています。 昨年2月の院長日記に、井の頭公園の河津桜の記事を載せました。 昨年は2月23日にはほぼ満開になっていました。 そこで昨日の2月24日に河津桜を見に行ってきました。 すると満開どころか、まだ1分咲きにも満たない開花状況でした。 昨年と今年の写真を載せますが、すごい違いですね。
2022.2.24
2021.2.23
この状況では杉の花も開かない訳です。 実際のここ3年間の2月23日までの青梅におけるスギ花粉累積飛散数(東京都福祉保健局東京都アレルギー情報navi.のHPより)を見てみると、今年はまだたった7.2個です。 ちなみに昨年は2,091.5個、おととしは1,042.9個で、いずれもこの時期には本格的に飛散していました。 ずっと寒い冬が続いていましたが、まさに今日がその変わり目で明日以降は最高気温が15度を超えるような春の陽気になると予想されています。 今年はどうやら3月に入ってからが本格的な飛散になるようです。 症状の悪化しない今のうちにまずは抗アレルギー剤の服用を開始したほうがいいでしょう。 昨日のニュースで、今年の桜の開花予想は東京で3月22日の平年並みと予想されていました。 これから暖かくなるとは言え、ここまで寒かったのでもう少し桜の開花も遅くなるのではないかと思いますがどうでしょうか。
1月25日(火)『オミクロン株のピークと求人と』
現在新型コロナウイルスオミクロン株の感染者が急増し、おそらく間もなくピークを迎えようとしています。
正月明けから日ごとに感染者が増えていっています。
現在のオミクロン株感染による症状はいわゆる感冒との区別がつきづらいので、感染に留意しながらの診療となっています。
そんな中、職員の退職者が出て当院では約6年ぶりに求人が必要となりました。
今月の半ばからハローワーク、インディードの他、アイデムやリクルート経由での求人をしていますが、応募者の乏しい状況が続いています。
新型コロナ感染が拡がっている状況での耳鼻咽喉科医院勤務はためらわれるのか?、または時期的な問題か?と考えています。
すこし焦りを感じつつも、もう少し待ってみようかと思っています。
良い人と巡り会って、ともに働くことのできることを願っています。
Comments