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院長日記H25

更新日:2022年10月1日

12月11日(水)「新しい診察券が来ました」

先月の日記でお知らせしましたとおり、新春から午前の診療開始時間を変更するのに伴い、診察券を作り直すことにしました。 本日、新しい診察券が送られてきました。 いらっしゃった患者さんから、順次差し替えて参ります。 新旧の診察券を並べてみます。















新しい診察券旧診察券裏はこうなっています。










午前の診療時間

が9:30~に変更されています どうしてこの色になったのでしょうか。 実はphotoshopを用いて、候補の色をいろいろとシミュレートしてみたところ、職員の意見でこの色が選ばれました。 皆さんは違う色の方が良かったですか?



11月25日(月)「診療時間変更のお知らせとメディカル・ビーンズに新規開院のニュース」

トップページに載せましたとおり、平成26年1月より、午前の診察開始時間が9時半になります。 これに伴い、アイチケットの開始時間も30分遅くなって10時からになります。 なお、午前診療の終了時間は変更ありません。 皆様にはご迷惑をお掛けして申し訳ありません。 それではなぜ診察開始時間を遅くするのか。 実は、来春転居の予定があるからです。 夜遅くなることが多く、通勤時間を考えると現在の9時開始では体が持たないと思ったからです。 ご理解の程、お願いいたします。 さて、話は変わってメディカル・ビーンズに新規クリニックが開院いたします。 平成26年2月17日の予定で、場所は2階、我が医院の隣になります。 今日から内装工事が始まりました。 少々うるさかったり、聴力検査に影響の出る可能性はあるのですが・・・ 2か月程度のことですし、むしろ新しい仲間が増えることの喜びの方が大きいです。 医院の名称は『福生癒しのクリニック』で心療内科の標榜になるようです。 ちょっと明るいニュースをお伝えしました。


10月5日(火)「国体ソフトボール:上野さんを見ました」

今年度の国体は『スポーツ際東京2013 第68回国民体育大会』として東京で行われました。 昨年の9月に記したとおり、女子ソフトボール競技は福生市で行われました。 10月1日(火)に準決勝、決勝があり、当メディカル・ビーンズのすぐそばにある福生野球場で行われました。 火曜日午前は休診にして隔週で外勤に出ていますが、たまたま外勤のない日にあたり観戦することができたのです。

この日は雨が降ったりやんだりであいにくの天気でした。 朝9時前に球場に行ってみると、まだ席はガラガラの状態でしたので、ほぼベストポジションである、ネット裏の真ん中に席を確保しました。 これは、その席からの写真です。













試合が始まると、このように立ち見の観客が出るほどで、スタンドは埋め尽くされました。 右の写真は、国体と福生市のゆるキャラである『ゆりーと』と『たっけー』です。 この試合を盛り上げるためにやってきました。 福生市は、七夕祭りが有名です。 その祭りを飾る竹がキャラの題材となっています。 ソフトボールは都道府県のチームがトーナメントで戦いますが、予想通り金メダリスト上野由岐子投手のいる群馬県が勝ち上がってきました。 下の写真はその群馬県チームです。 背番号17が上野選手、30が宇津木監督です。



左は試合前にマウンドに集まっての気合い入れ、右はホームランを打って観客席に応えるパフォーマンスです。

上野さんと並んで有名な宇津木監督です。 浅黒くてかっこいい。 試合前のノックは見事で、観客は見入っていました。















そして下の写真が上野投手です。





間近に見ることができましたが、予想通りすごい球を投げ込んでいました。 余裕があったのか、試合中には笑顔が見られました。

試合ですが、準決勝は群馬対栃木で、2-1で群馬の勝利でした。 この試合で、上野投手はセンターオーバーのホームランを浴びました。 あの上野さんでも打たれることがあるんですね。 決勝は群馬と、東京対愛媛の準決勝を勝ち上がった愛媛との対戦でした。 結果は1-0と上野の完封勝利で、群馬が優勝しました。 雨の中やや根性のいる観戦でしたが、上野投手をたっぷりと見ることができ、満足することができました。



9月11日(水)「はだしのゲン入りました」

松江市の図書館で閲覧制限され、話題となった『はだしのゲン』を購入し、納品されました。 注文が殺到しているようで2週間ぐらいかかりました。 待合室でご覧頂けます。 私も、機会あるごとに読んだことはありますが、全てを読破したことはありませんし、最後にどういう結末になったかは知りません。 時間を見て私も読んでみようかと思っています。 現在は比較的すいていますが、これから徐々に混雑してくる時期ですので、待ち時間にでもご覧頂ければと思います。

8月6日(火)「予期せぬことが起こる年」

前回のMRIですが、出来上がった画像は衝撃的なものでした。 右の大腿骨頭内に明らかな異常なシグナルが映っていました。 不安になって予定よりも早めに整形外科の先生にみてもらうと、見慣れない画像だから専門の先生にもみてもらうということになりました。 そして2日後にその先生から電話がかかってきて、「大腿骨頭壊死のようですね。あまり動かずに座っていたほうがいいですよ。」 と、これまた衝撃的な内容だったのです。 テニスやウォーキングなど、体を動かして体調を整えているのに、運動はおろか、日常生活もままならないような難病を宣告されてしまいました。 ただ、リウマチが疑われるという話には、まったく思い当たる症状もないので、大学病院の股関節専門外来にかかることになりました。 結果は大腿骨内の炎症性変化による浮腫という診断でした ベースには変形性股関節症があるので、手放しで喜ぶことはできませんが、とりあえず難病は否定されました。 結果が判明するまでの間、絶望感におちいっていたのです。 生まれ変わったような気持ちになりました。 話は変わって、この前の日曜日には越後湯沢の方へ出かけていました。 車を走らせていると、突然ガタガタいいはじめたので、もしかしたらパンクでもしたのかと思いました。 すると、前面のディスプレーにアラートの表示がともっています。 動転して、車をコンビニの駐車場に停めると、ディーラーへ電話してみました。 調べてみると、排気システムのトラブルのようで修理をしないと走行することができません。 とりあえず、ガタガタという車を不安な気持ちで越後湯沢駅まで走らせて移動しました。 ディーラーの支店は新潟県内に4箇所ほどあるようですが、一番近くても長岡店でした。 距離にして80kmもあります。 担当者は、新潟店はどうですか?と聞いてきましたが、とんでもない、こっちは150km位あります。 仮に長岡まで運んでもらって修理しても、直るという保証はありません。 そこで車はあきらめて、越後湯沢駅から新幹線で帰ることになりました。 車両保険で、故障時搬送のオプションがついていたので、車は後日福生まで搬送してもらうこととなったのです。 運転免許を取ってから30年以上、走行中に故障して動けなくなるということは初めてでした。 何だか今年は親父が亡くなったりと、いろいろなことが起こります。 多分、人生の節目にあたる年なのだろうと思っています。 起承転結の「転」を迎えているのでしょう。 もうそんな歳なんですね。



7月22日(月)「MRI初体験」

以前からたまに股関節痛があったのですが、最近運動後などの痛みが強くなってきたので知り合いの整形外科を受診して診てもらいました。 レントゲンで、両側股関節骨頭に不整像があるのでMRIを受けてみて下さい、ということとなり公立福生病院でMRI検査を受けました。 当院でも、患者さんにMRIの検査を指示して撮ってきてもらうことはありますが、自分としては初めてのことでした。 けっこう時間のかかること、閉所恐怖症の人は無理なこと、大きな音がすることなどは聞いていました。 検査着に着替えて装置に寝かされると、音を紛らわせるために音楽の聞こえるヘッドホンをかけられました。 クラッシック音楽が聞こえてきましたが、いざ検査が始まると音楽なんて聞こえません。 ヘッドホンというよりも、耳をカバーする耳栓代わりだと思いました。 せまい装置のトンネルにスライドして入ると、囲まれた白いドームの中で窮屈な感じです。 私の場合、撮影部位が股関節でしたので頭半分ぐらいは外にでており、ちょっと後ろを見ると部屋の天井が見えていたのでそうでもありませんでしたが、なるほど、閉所恐怖症の人は無理かも知れないと思いました。 検査が始まるといろいろな音が聞こえてきました。 最初はたぶん撮影部位の位置決めのために、ビームのような音が聞こえましたが、いざ検査が始まると上の階の床を強くたたくような、「トンットンッ」という音がしました。 それに続いて今度は、「トットットッ」 という早めの機関銃を撃つような音が聞こえます。 今度は低い声の男性が早口で喋るような音で、「タフッタフッタフッタフッ」とか、逆に「フタッフタッフタッフタッ」と聞こえます。 最後にはやはり同様な音で「アッアッアッアッアッ」 と聞こえました。 時間にして20分ぐらいでしたでしょうか、あまり気分のいいものではありませんでした。 以上、MRIの体験談でした。



6月12日(火)「梅雨入り発表時期に疑問」

関東地方の今年の梅雨入りは、例年よりも早い5月29日と発表されました。 しかし、今回の梅雨入り発表は当初からおかしいと思っていました。 関東地方の梅雨入りは例年6月10日ぐらいです。 そして何といっても天気図に梅雨の象徴ともいえる梅雨前線が存在しません(下図左)。 翌週の予想天気図は、梅雨前線が南海上に下がったものでした。 時期的に早すぎるし、梅雨には梅雨前線が本州付近にかかる状態が続くはずなのに、まだそんな状況ではなかったからです。 そこで、発表当日から「まだ梅雨入りではない」と周囲に話をしていました。 案の定、5月29日、30日とも対した雨も降らないまま31日からはカラッとした晴天の日が続きました。 テレビなどでは、「梅雨の中休み」、「から梅雨」などという言葉が飛び交っていました。 さらに「水不足」が話題となりました。 下図右は「うそ梅雨入り」の約1週間後、6月4日の天気図ですが、本州は大陸からの移動性高気圧に覆われ、梅雨前線ははるか南の海上にあります。 東京では晴れ、最高気温は29℃まで上昇しました。


今年5月29日梅雨入り

梅雨前線が存在しない

(Yahoo天気より)













今年6月4日

約1週間後には梅雨前線は南海上に

本州は大陸からの移動性高気圧圏内













今度はテレビで、「梅雨なのに晴天、真夏並の暑さ、熱中症に注意」などと報道しています。 “だから違うって、 まだ梅雨に入っていないんだって、それにこれは真夏の暑さとは違うんだって”と、心の中で叫んでいました。 梅雨明け後の真夏には、右図の右下に見えている太平洋高気圧の勢力が強まり、梅雨前線を本州の北側に押し上げて日本列島を覆うため、南から湿った暑い空気を送り込みます。 そのため、最高気温は35℃前後となりますし、何といっても蒸し暑さが加わります。 今月初め頃の晴天は、大陸からの高気圧によるものですから、カラッとした暑さで、真夏日(30℃以上)になることはあっても猛暑日(35℃以上)になることはまずありません。 むしろ、さわやかな真夏の高原のような暑さなのです。 そして今年の本当の梅雨入りはおととい、6月10日であると私は確信しています。 ちなみに、昨年と一昨年の「梅雨入り」の天気図が下図です。

昨年の梅雨入り(平成24年6月9日) 低気圧および梅雨前線がかかる














一昨年の梅雨入り(平成23年5月27日) 台風により活発化する梅雨前線













昨年の梅雨入りは6月9日とほぼ平年並みで、天気図を見ると梅雨前線を伴った低気圧が本州付近にあります。 典型的な梅雨入りの天気図です。 一方、一昨年も今年と同じく5月中に梅雨入りと発表されています。 この時の天気図を見ると、本州の南岸に梅雨前線があり、はるか南の海上には台風があります。 台風により前線が活発になって、しばらく雨が続く見込みでの梅雨入りだったようです。 気象庁の資料から過去の天気図を見てみると、このあとこの台風2号は、本州南岸をかすめるように進んで四国から東北の広い範囲で5月としては記録的な大雨をもたらしました。 けれども、台風が去った後には梅雨前線は一旦南へと下がり、どうも本州付近に前線が停滞するようになったのは6月11日頃だったようです。 おととしも今年と同じような傾向だったようですね。 気象庁は例年8月終わりぐらいに、梅雨入り・梅雨明け時期の修正をすることがあるそうです。 おそらく今年は修正されるでしょう。 今から訂正をしないのは、気象庁のプライドがあるからでしょうか。 このように気象に興味のある私ですが、 天気予報などを含め、気象庁の発表とは違う見方をしては、こちらの方が正しければ、“それみろ”とよくつぶやいているのです。 (後日談) 9月3日、気象庁から梅雨入り時期についての訂正が発表されました。 やっぱり6月10日ということになりました。 “それみろ” (H25.9.4記)


5月21日(火)「天国の道」

5月19日(日)に、昨年5月の本欄と同じ新潟県の山中に行って来ました。 夏のイベント時には大勢の客で賑わう場所ですが、その他のときは訪れる人も少なくひっそりとしています。 この辺りの道を歩いているうちに、「天国の道」だと感じるようになりました。 今回行ってみると、川には新しい橋が造られているところで、そこを渡ってみるとこんな道に出会いました。

白樺に囲まれた、歩きやすそうな道です。 まさに「天国」に通じている道のように思えました。


そしてここを抜けると、

こんな広い草原に出ました。 新緑に囲まれた広大な広場には誰もいません。 遅い春を迎えた高原を独り占めです。 広場をぐるっと回って引き返してくると、 先ほどの川へ通じる別の道があります。 木のボードが整備され、清流にかかる橋へと降りられるようになっています。 橋の上から水を見ると、こんなに澄んだ流れです。


橋を渡ると、森の中へとボードの道がつながっています。 何度も「最高!」とつぶやきながらの天国ウォーキングでした。


4月24日(水)「親が亡くなって知り得たこと」

2月の本欄に記載したとおり父が亡くなりましたが、事後処理等でこれまで知らなかったことがありましたので、その点について触れてみたいと思います。 1)出生までの戸籍を取り寄せてみて 人が死亡した時点で、その故人の財産は差し押さえられて相続の手続きに移ります。 その際、相続人を確定させるために故人の出生までの戸籍謄本を取りよせるよう銀行から指示されます。 父の場合は、昭和18年以前のものが岐阜県にあるということで、同県内の町役場に連絡をして戸籍を取りよせました。 その戸籍には、3代上の直系家族が記載されており、慶應生まれとか文政生まれの生年月日が出てきました。 自分の曾祖父の名前すら知らなかったのに、 その上の代まで名前が判明しました。 曾祖父には13人も子供がいたこともわかりました。 昔の人はすごかったですね。 昔の戸籍はもちろん手書きで、数字なども漢数字ですから判読するのが結構難しかったりします。 戸籍を見てみると、そこに記載されているのは各人の出生、婚姻、死亡の年月日が主になります。 改めて、婚姻というのは人生において非常に重要な位置づけになることが認識されました。 婚姻の日付は、あくまでも役所に届け出た日になりますので、結婚式(披露宴)の日とは別になります。 そういう意味では、同じ日に婚姻届の提出と結婚式を行えば、まさにその日が結婚記念日ということになります。 それに離婚した事実も戸籍に残るので、末代までとはいいませんが、自分の死後もその事実が子孫にまであばかれることになります。 2)お墓について 結局50日祭(神道、仏式での49日)の時点でお墓がなかったので、父はまだお骨のまま母の所におります。 つい最近、お墓を決めたところです。 公営の墓地は価格が安いですが、募集が出ると常に抽選で何倍という状況のようです。 神道式としましたので、宗派を問わない民営の墓地を選びました。 お墓に関しては生前に作っておけば、それに伴う財産は相続税の対象からはずれるため、相続税対策になります。 生前にお墓を作るなんて縁起でもない、ということはなくて、どうもそのほうがいいようです。 生前から公営墓地に応募して、確保しておくのが得策かもしれません。 3)家紋について お墓を造るにあたって、石材店から家紋を入れるので知らせるように言われました。 けれど大野家の家紋は知らなかったので、母親経由で聞いてもらいました。 家紋というのはある程度決まっていて、30-50種類ぐらいのものかと思っていたら、実は自由に決められるので無数にあるそうです。 ネットで見ても、4,000種類収載しているとか、10,000種類の画像を保有しているとかの記載がありました。 どうやら大野家は「丸に一つ矢」という家紋であることが判りました。 他にもいろいろとありましたが、今回はこの辺で。



3月16日(土)「スギ花粉の爆発的飛散と混雑」

スギ花粉は1年ごとに飛散量が増えたり減ったりする傾向にあります。 昨年は花粉の飛散数が少なくて、今年は多い年にあたります。 さらに昨年夏の猛暑の影響で、スギの花芽の成長が良かったため事前から多めの飛散が予想されていました。 この冬は寒かったのですが、3月に入ってから急に暖かくなり、3月1日(土)の春一番とともに一気に花粉が飛散しました。 さらに翌週の3月9日(土)には強い南風が、10日(日)には吹き返しの強い北風が入り、南関東では煙霧を観測しました。 それとともにスギ花粉も記録的な大量飛散になったようです。 3月9日(土)や11日(月)は、当院だけでなく、他の耳鼻咽喉科医院も大変な混雑だったようです。 例年症状の軽い人も症状が強く、小さな子供たちまで今年は花粉症となり、目を真っ赤にしたお子さんもたくさん来院しました。 患者さんの数に診療が追いつかない状況となったため、早めにアイチケット(予約システム)をうち切りましたが、それでも記録的な来院患者数となり、診療は遅くまでかかりました。 患者さんによっては5時間待ちだったという状況です。 さらに、例年は抗アレルギー剤や点鼻薬の組み合わせでコントールできていた患者さんたちが、ことごとく「効かない」 と訴える状況でした。 これほど爆発的に花粉が飛散してしまうと、いくら薬を使っても効果がなくなってしまうようです。 別の作用機序の抗アレルギー剤を併用するなどの対策をしましたが、恐らくこの爆発的飛散では、それもかなわなかったでしょう。 幸い、3月12日(火)以降は花粉の飛散量もやや落ちついてきました。 どうやらこの短期間に蓄えられていたスギ花粉が一気に飛んでしまい、残りは少なくなったようです。 今年は本日東京で桜が開花したということで、春の訪れも早まっていますが、スギ花粉の収束も早まりそうです。 あの一時のパニックのような外来は、もうなくなるのではないかと思っています。 これからは4月上旬から中旬にかけてヒノキ花粉がピークを迎えます。 もうしばらく対策が必要ですが一時のようなことは、もうないと考えております。


2月26日(火)「父親の逝去」

2月9日に実父が亡くなりました。 享年83歳でした。 2月12日と13日に葬儀を行った関係で、医院を臨時休診と致しました。 患者様各位におかれましては大変ご迷惑をお掛けいたしました。 また葬儀には多くの方にご参列いただき、たくさんの供花や弔電もいただきました。 この場を借りて御礼申し上げます。 23年10月の本欄で書いたとおり、医院を休んだことは一度もありませんでしたが、このような形で初めて臨時休診することとなってしまいました。 父は平成22年末まで、武蔵野市吉祥寺南町で大野耳鼻咽喉科気管食道科医院院長として45年間勤め上げました。 40代前半の頃に、健康のためジョギングを始めたのですが、それが高じて競技マラソンに出るまでになりました。 青梅マラソンには毎年出ていましたし、全盛期にはフルマラソンにも出場しました。 井の頭公園を走る仲間で発足した井の頭走ろう会の初代会長として活動しました。 晩年にはその足から弱りはじめ、人工膝関節の手術を受けましたが思うように回復せず、休業していた医院を再開することなく母親どもと過ごしておりました。 昨年3月に脳出血で倒れ、以後入院生活を送っていました。 一時は経口から食事をするほどの状態でしたが、高齢でもあり、食べては誤嚥性肺炎と思われる発熱があり、最後の頃は末梢からの点滴のみの栄養となったため羸痩(るいそう)がすすみ、体力が低下して亡くなりました。 入院中はボーっとした感じで軽度の意識低下があり、 そのためか苦しむ様子は見せずに過ごせたことが我々家族の救いでした。 また父は、自然をこよなく愛する人であり、長野県は八ヶ岳の麓に建てた山小屋へ行くことを楽しみにしていました。 性格的には短気な部分があって、実家の隣にあった医院からは怒鳴り声がよく聞こえてきたものです。 晩年にはそういった角もとれて大人しくなりましたが、少々寂しさを感じておりました。 また大変実直で真面目な人間でもありました。 私は、父親のよい所は受け継いで今後生きていこうと思っております。 以上、父の逝去のご報告といたします。



1月25日(金)「プチ閑散期とプチ同窓会」

昨年末には私的なことを含めて多忙であわただしかったのですが、年が明けて一段落しました。 真夏には患者さんの数がぐっと減って「閑散期」となりますが、この1月も「プチ閑散期」です。 少しほっとできる時期ですが、これから花粉が飛び出すと一気に忙しくなります。 昨日は、普段はなかなか会うことのできない大学の同級生と「プチ同窓会」を行いました。 と言っても、単に集まって飲んだだけですが、そんな折に出る話はその仲間たちと旅行に行ったときの話です。 北海道や紀伊半島にまで、車での旅をしました。 経路や宿泊先の手配はだいたい私がやっていたのですが、若かったし、いろいろと行ってみたいところがあったので、どうしてもハードスケジュールになってしまいました。 北海道旅行の初日は、3時に東京を出てひたすら東北道を北上し、青森からの青函連絡船は利用せずに本州最北端の大間まで行ってそこからフェリーに乗りました。 フェリーの時間がぎりぎりになって焦ったことが思い出されます。 1日の走行距離が900kmでした。 これは一生でも一番の記録だと思います。 その日の夕方には函館に上陸し、夜景を見ることができました。 そして翌日は一気に襟裳岬まで行ったのですが、一般道だけ440kmの道のりです。 宿には大遅刻して、宿のおじさんはカンカンでした。 紀伊半島に行ったときも、2日目は志摩から白浜への大移動でした やはり宿には大遅刻したのですが、そこの宿のおじさんは「社長!」と言って出迎えてくれました。 我々が食事をしていると、すぐ横に座って「何事も続けることが大切なんだ」と言う話を熱く語ってくれました。 もう25年も前の話です。 50歳前後になろうと、皆の気持は大学生のままでした。


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